リレー・エッセイ
 
いろいろなキューバが見えてくる
 
Vol.8 持続可能な国づくりへの挑戦

その5 有機農業を支える人たち

東京都産業労働局農林水産部農業振興課主任 吉田太郎
 
ハバナ農科大学
ハバナ農科大学
 今回は、キューバの有機農業を支える魅力的な人々を紹介してみよう。キューバでは1980年代から在野の先駆的篤農家や国家研究所の中の異端の研究者たちの間で地道な研究が進められてきた。その長年の実践や研究成果が、経済危機を契機として一挙に花開いたのである。
 ハバナ市内から車を走らせること一時間。広大な農場を併設した「ハバナ農科大学」のキャンパスがある。歩くだけでも何時間もかかりそうな広い敷地の中に鉄筋コンクリート製の学生寮や研究棟が立ち並ぶが、いざ建物の中に入ってみると他の研究所と同じく物資不足の影響を受けオンボロである。エレベーターは、それがあったであろうスペースがぶち抜きで空いているだけだし、壁もあちらこちらハゲチョロケ、椅子や机もとっくにお払い箱になりそうな年代物である。が総本山である。同大学の持続可能農業研究センター長のルイス・アントニオ・ガルシア博士を訪ねた。
ガルシア教授
本学には海外からも多くの学生や研究者が学びに来ます。日本の研究者とも交流を図りたいと語るガルシア教授
 「本学では1990年代から有機農業の研究が進みました。ですが、1970年代からある程度は有機農業の研究がスタートしていたんです。スペシャル・ピリオドの影響で、とにかく化学薬品を含めて何もないわけですから、それまで色々なところで研究されてきた有機農業を、キューバの食料問題の解決のためのオルターナティブにしようと全面的に研究が始まったわけです。実は、キューバの有機農業は日本とも関係があるんです。私は1992年にブラジルのサンパウロにある日本の自然農法グループの研究センターに有機農法を学びに行ったのです。また、オーストリアのルドルフ・シュタイナーの農法を研究するため、バイオダイナミックセンターにも研究にゆきました。そして、1992年に、はじめての全国規模での有機農業の研修コースが行なわれたのです」
 だが、キューバが有機農業への転換を図る上で、最も特徴的だったのは、伝統的な農民たちの実践を評価し、農民たちの知識の再発見に努めたことであろう。
エリザベス・ペーニャ研究員
熱帯農業基礎研究所
エリザベス・ペーニャ研究員
 エリザベス・ペーニャ研究員は年のうち四ケ月は現場を歩き農家と協力しあいながら研究を進め、農業の振興プランを立てる。
 「何かの研究を始めるときにまず最初にやるのは、研究所の中で行いながら、同時に農家にでかけていってその研究を実施することなのです。何か新しい新たな技術を導入するときには、まず農民と相談するのです。そして、農家と研究所の両方の研究データーを調べます。キューバでは研究者全員が同時に普及員にもなっています。それは研究者にとっても便利なのです。研究が間違っていたら、やり直せるからです。農家と協力しながら研究を行ない、研究者として成長できるのです。そして農家がいい結果を出してくれれば、目的が達成されたという満足感を得られます。それが研究をするやる気にもなります。昨年は野菜の生産方法を学ぶため中国に行きましたが、北京で一番大きな研究センターでは、研究者は研究だけで農家との交流がなかったのです。私は、それは良くない制度だと思います」

 有機農業の支援は、大学や国の研究所だけでなく民間でも行われている。例えば、1993年には「第一回有機農業全国会議」が開催され、100人以上のキューバ人と40人の外国人が参加し、「キューバ有機農業協会」(АCАО)が結成された。有機農業を中心となって普及してきた同協会は1996年に、Saard Mallinkrodt賞を受賞する。この受賞はコペンハーゲンで開かれた有機農業国際会議でアナウンスされた。ちなみに、筆者はこの国際会議にあわせてデンマークの有機農業視察を行っていたのだが、当時はキューバには関心がなく、全くこのことは知らなかった。
 そして、1999年には、1987年に設立されていたNGО、ACTAF(アクタフ・農林業技術協会)と合併し、よりいっそう強化される。かつてはアクタフも各州ごとに10人以下の会員しかいない小グループだったが、今では全国規模のネットワークを構成し、9000人以上の会員を抱える。
受賞の賞状
会長のリカルド・デルガド博士とマイダさん。
写真は受賞の賞状
 同年12月にはオルターナティブ・ノーベル賞として知られる「ライト・ラブリーフッド・ノーベル賞」をスウェーデンから受賞。
 「この受賞は、本当に私どもアクタフ、そして、キューバで有機農業を行うために苦闘しているすべての農民、研究者、行政官にとっての誇りです。食料を供給する唯一の方法が慣行的な化学物質に依存した農業だけではないということ。私どもの努力が、他の国々にとっての一つの実証事例となることを希望します」
 コアメンバー、フェルナンド・フネス博士は受賞記念に際してこう語った。ちなみに、同賞は、ノーベル賞のルーツがダイナマイトであることを配慮し、本当により良き世界の未来のために貢献した個人や団体を表彰するために1980年にスウェーデンが作ったもので、日本では反原発運動に取り組んだ故高木任三郎博士が受賞している。1999年には、40ヶ国の80以上の候補の中から、4つだけが選ばれたが、アクタフはその一つとなったのである。キューバでは初めての受賞だった。
 マイダ・ヘルナンデス副会長も筆者のインタビューにこう応じる。
 「いま、私たちは有機農業や植林など12ものプロジェクトを進めていますが、化学肥料や農薬を使うプロジェクトはただのひとつもありません。そして、海外とも交流を進めています。カナダ、アメリカ、ベルギー、スペイン、イタリア、フランスなどのNGOから援助を得ていますし、先進諸国から受けた援助をもとに、コスタリカ、ウルグアイ、ニカラガグア、メキシコなどへの技術援助に専門家が出かけているのです」
 アクタフには全国各地に支部がある。ハバナ支部は、国から借りた荒地を開墾し、有機野菜を販売しながら自主運営で動く農場で、海外からの研修生も受け入れている。エヒディオ・パエス、ハバナ支部長はこう語る。
エヒディオ・パエスハバナ支部長
エヒディオ・パエス ハバナ支部長。元農業省の官僚だったが、今はNGOの立場で市内の都市農家の支援に日々、奔走する
 「以前に日本からお見えになったカネコ先生から、世界中から人が学びに来るという御自分の有機農場の実践の話を聞き、私はそれがキューバに必要だと直感したんです。ですから、カネコ先生と同じような農場をこのハバナにも作りたいと思って日々努力しているんです」
 カネコ先生とは、埼玉県小川町で有機農業を実践する篤農家、金子美登氏のことである。氏は日本からの初めての「キューバ有機農業視察団」の団長として三年前に訪問。その時の実践談に感銘を受けたエヒディオさんたちは、自分で農場を作ってしまったのである。
 エヒディオさんの期待に応えるかのように、この三月には金子農場の元研修生がキューバへと一年間の留学に旅立った。これまでほとんど日本とは交流がなかったキューバだが、金子さんらを中心に小さな友好の絆が育ちつつある。たとえ、言葉や文化が違うにしても、有機農業や環境保全にかける人々の想いは世界共通なのである。
Photo by Taro Yoshida(C)
(続く→第6回
吉田太郎さん責任編集<キューバの有機農業
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